ケータイ辞書JLogosロゴ 榎富中荘(中世)


福井県>春江町

 室町期〜戦国期に見える荘園名。越前国坂南郡のうち。略して中荘ともいわれ,榎富荘が分割されたものと思われる。大覚寺門跡領。応永16年3月11日付大覚寺門跡令旨に「越前国榎富中庄〈本所分〉事,御契約小布施之由被聞召候了」と見え,大覚寺覚勝院が竜沢寺の本願小布施氏と年貢の納入につき契約をしていたが,応永26年12月覚勝院は預所職を銭1,200貫文で竜沢寺に売却し,その代わりに毎年年貢30貫文と御服綿3屯とを上納させることになった(竜沢寺文書)。次いで永享元年榎富中荘半分代官職も竜沢寺に寄付され,同寺25世以翼佑(文明6年入寺)の代には中荘半済分が同寺に帰したという。その後大永3年5月14日,当荘本所方が朝倉孝景により竜沢寺へ安堵されている(以上,同前)。また,長禄2年12月日の称念寺并光明院等寺領惣目録によれば,当荘内時真名・守恒名は称念寺領であった(称念寺文書)。当荘域は判然としないが,近世の江留中村にあたるものと思われる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7329740
最終更新日:2009-03-01




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