ケータイ辞書JLogosロゴ 上合月村(近世)


福井県>松岡町

 江戸期〜明治22年の村名。越前国吉田郡のうち。はじめ福井藩領,正保2年松岡藩領,享保6年から福井藩領となる。なお慶長6年9月9日付の山川菊松宛結城秀康知行宛行状(山川家文書)に村名が見え,元和年間頃まで山川氏の知行地であった。村高は,「正保郷帳」で田方114石余・畑方125石余の計240石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。九頭竜川の表川と裏川に挟まれた中州上,しかも両川の分岐点に立地するため,当村は常に出水の脅威にさらされ,近辺に越石田を求めた。隣村下合月村の村高473石余のうち,元禄3年の当村越高は183石余であった(勝見家文書)。安永2年の金津領村鏡(高橋家文書)によれば,田3町7反余・畑1町5反,免は1割1分5厘,頂上免は元禄3年の4割3分,諸役銀として鷹餌代・川役銀・道銀・川除銀・舟役銀・鴨猟場銀,家数36・人数210,牝馬7,用水は河合春近,川除所川形長600間御普請所,渡舟2,渡守4軒,土橋1か所,小舟2,神社は山王権現観音勢至(現日吉神社),寺院は法華宗円寿寺,諸木99本,藪29か所とある。当村は,冠水して土砂の堆積した不毛の地での綿栽培に成功,やがて近隣に広まり,手織り製品は江戸末期に「合月木綿」の名で世に聞こえた。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,戸数64・人口330(男163・女167),反別は田5町7反・畑5町1反,小舟2,物産は木綿1,000反・菜種10苞・甘藷1,000貫。なお綿作は明治14,5年頃から衰退し,その対応策として水田への転換を図り,苦心のすえ,用水路を開削,同20年開田に成功した。同22年五領ケ島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7330369
最終更新日:2009-03-01




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