ケータイ辞書JLogosロゴ 蒲生浦(近世)


福井県>越廼村

 江戸期〜明治22年の浦名。越前国丹生郡のうち。福井藩領。高は,「正保郷帳」34石余うち田方5石余・畑方28石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」も34石余。元禄5年の家数104(青木喬家文書)。享和3年の家数は93で,この年越前海岸の測量に訪れた伊能忠敬が当浦の青木庄左衛門家に止宿した(伊能忠敬測量日記)。慶長18年の越前国諸浦御役舟之帳并御肴わり(名蹟考)では役船9艘を負担し,越前国内有数の大浦であった。船数は,元禄3年6,7人乗りの沖漁船が15。享保14年は沖漁船22,3人乗りのがんぞう船3,2人乗りの磯見船3で,そのうち儀兵衛は大船2,がんぞう船・磯船各1を所有,庄左衛門は大船・中船各1を持ち,魚仲買商人であった(青木家文書)。当浦の鱪漬木漁の歴史は極めて古く,承応3年小丹生浦の漬木場を借用している(刀禰家文書)。なお,福井藩への初鱈・寒鱈の献上は茱崎浦とともに行ってきた(名蹟考)。当浦は造船基地でもあり,明和6年には船大工が10余人おり,三国湊など他所へ稼ぎに出る者もあった(青木家文書)。寺院は日蓮宗勝当派本性寺・真宗東派専徳寺などがある。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,村幅南北3町18間・東西1町5間,戸数202・人口1,209(男584・女625),馬8,船110(渡海船4・磯廻船11・漁船95),海産は鰈・鰤・魬・鯖・鯣・雲丹。明治6年啓儀小学校開校,同20年近隣の2校とともに蒲生小学校に統合された。明治7年蒲生郵便役所が開設され,翌8年蒲生郵便局と改称,同41年茱崎に移転し越廼郵便局となる。明治17年3か村連合役場を当村に設置。同22年越廼【こしの】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7330552
最終更新日:2009-03-01




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