ケータイ辞書JLogosロゴ 観音町(近世)


福井県>松岡町

 江戸期〜明治7年の町名。正保2年松岡藩の立藩が決まると,室・椚・窪の3か村を母体に城下町松岡の建設が進められ,いわゆる松岡八町の1つとして成立。城下の西端を占める。東は雑家町。元禄10年の松岡町家数間数之帳(中村家文書)によると,街道を挟んで両側に町屋が並び,北側の町屋11軒,その間口計71間,南側の町屋15軒,その間口計77間,奥行はほぼ15間であった。裏手には組町が設けられていた。享保6年松岡藩は廃藩となり,同11年には旧家中が福井へ引越した。宝暦7年の家数27。人数は享保13年99から,延享元年94,宝暦7年77と減少,松岡藩廃藩後の町勢衰退がうかがえる。観音堂は北町にあり,その敷地間口15間,浄土宗鎮西派摂取院(現単立摂取寺)が管理。付近の川中から得たという如意輪観音が安置されており,松岡藩の藩祖昌勝が堂宇を造営したと伝える(帰雁記)。日蓮宗泰遠寺もあったが,寛保元年福井へ移転。なお同寺に隣接して築山があり,後世古墳と判明し,泰遠寺山古墳と名付けられた。明治7年町名変更により江上町の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7330621
最終更新日:2009-03-01




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