ケータイ辞書JLogosロゴ 兼定島(近代)


福井県>松岡町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ五領ケ島村,昭和30年からは松岡町の大字。明治24年の幅員は東西3町余・南北1町余,戸数59,人口は男165・女159,学校1。同29年裏川に御陵橋が架橋され初めて坂井郡へ道がつながる。兼定島小学校は五領小学校,陵西小学校と改称し,同41年下合月の陵東小学校と統合して御陵小学校となる。同42年の地積は田25町6反余・畑7町余・原野その他7町4反余。昭和21年五領ケ島郵便局開局。同23年の福井大地震で御陵小学校倒壊全焼。同28年小学校に隣接して御陵保育所開設。北陸自動車道の新設に関連して圃場整備事業が同45年から同47年にかけて施工,田は30aの区画に統一され大規模営農を容易にした。九頭竜川の表川一本化に伴い廃川となった裏川敷は,当初農地化を予定したが,その後工業団地として県土地開発公社が用地を取得。ここに国立福井医科大学の設置が決まり同53年より施設建設に着手,同55年開学,残部の一部は県住宅供給公社による宅地造成が同63年から始まる。公共下水道も昭和60年に着工,数年後の完成を目指し目下工事進行中。世帯数・人口は,大正9年59・303,昭和10年54・279,同30年64・322。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7330996
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ