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- 下新町(近世)とは
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下新町(近世) 江戸期~明治7年の町名江戸期は三国浦,明治4年からは坂井港のうち正保2年町立てされた元新町の川下側がその後の家数増加により分割されて成立(三国鑑)地名は,元新町のさらに川下に位置することに由来するか地字を材木河岸と呼ぶように,材木商人が多く住んでいた元禄14年俳人各務支考の三国湊来訪を機に結成された日和山吟社の初代宗匠岸名昨嚢も当町で材木商を営む港の機能が川下に移るにつれ三国湊の中心的位置を占め,富商が軒を連ね湊の支配にも大きく関った慶応元年直触町人として内田平右衛門・津田彦右衛門・藤田久四郎,支配人として内田要太郎の名が見える(同前)明治7年今新町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下新町(近世) 江戸期~明治11年の町名三次【みよし】町3か町のうち十日市町3町の1つ馬洗川の自然堤防上に立地する十日市町の中心をなす本町の南に新しくのびた町文化10年三次町が郡方支配に代って三次町奉行所支配になったとき,正式町名とした明治11年原村の一部となり,のち通称町名になった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」