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- 筋違橋町(近世)とは
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![]() | 筋違橋町(近世) 江戸期~明治18年の町名寺町通今出川上ル六丁目不動前町の南の辻下ル町「角違橋町」(寛永14年洛中絵図),「直違橋町」(寛文12年洛中洛外大図)とも称した町名の由来は禁裏用水の残滓が町内を横流し不動前町に出る際,この地に石橋を斜めに架したことによる(府地誌)享保頃当町に駕輿丁たばこや片岡半右衛門,駕輿丁絹屋三宅与右衛門,右馬寮大嶋右馬允などが居住していた(京都大概覚書)江戸期は上立売八町組枝町塔之段五町組明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】28番組,同5年第11区と改称同12年上京区筋違橋町となる同18年,桜木町に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」