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- 茶町(近世)とは
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茶町(近世) 江戸期~明治4年の町名出雲国島根郡のうちもと末次【すえつぐ】村のうち慶長年間の松江城築城後,松江城下の町名として起立松江城の南方,京橋川の南側で,北は片原町,南は宍道【しんじ】湖に面する商人の町町名はかつて茶店が軒を並べていたためとも,茶屋という豪商が居住したことによるためともいわれる「大数録」には「茶町 同二丁目」と記し,町内は2区域に分かれていたと思われ,上茶町・下茶町とも称した文化8年以降防火組は竜吐水組に属し,苧【お】町・末次町と1組となり火消夫21人を常備した東南には「風土記」所載の須衛都久神社が鎮座同社は末次という地名由来の古社と伝え,もとは亀田山南麓近くにあったが,堀尾氏の松江築城の際移転し,さらに延宝5年当地に遷座した明治4年島根県に所属同年東茶町・西茶町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
茶町(近世) 江戸期~明治22年の町名伊豆国君沢郡のうち狩野川の支流境川中流左岸に位置する東海道三島宿のうち幕府領元治2年の石高108石余,戸数43・人口184(三島町誌稿),また宗門人別取調書上目録によれば慶応3年の石高109石余,戸数38,うち本家33・店借5,人口172(三島市誌)当町はもと新宿町内の一部であったが,同町が宝暦年間55戸と激増したため,同7年町内の石橋を境に区分して茶町・木町として成立した明治元年韮山県,同4年足柄県を経て,同9年静岡県に所属同3年の石高134石余,戸数42・人口200(三島町誌稿)明治22年三島町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」