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富田郷(中世) 室町期~戦国期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富田郷(中世) 南北朝期から見える郷名玉造【たまつくり】郡のうち江合【えあい】川北岸の平野部に位置し,岩出山町上一栗【かみいちくり】富田から下一栗中富田に至る地域に比定されている「多田文書」興国6年11月4日付の多田左近将監宛北畠顕信御教書には「諸方の形勢に相紛れず,義兵を挙げ其の功あらば玉造郡内富田・三町目両郷の事相違あるべからず」とあるのが初見また「伊達正統世次考」天文5年7月13日条には伊達稙宗が大崎義直を助けて大崎領に出陣,玉造郡円山に陣し,「下は青塚より上は富田,一栗に至る二十余郷,尽【ことごと】く火を縦【はな】たしむ」ともあり,「伊達家文書」天正14年7月16日付の石川昭光覚書状には「一富田の事,一成田の事」とも見えている戦国期に下一栗【しもいちくり】にあった一栗城の城主一栗氏が平時に居住した屋敷が富田にあり,その周辺に中富田や中富田前・中富田東などの字名があったと伝えられている江戸期には富田を境にして東側が下一栗村,西側が上一栗村となり,富田は上一栗村の字名,中富田と中富田前・中富田東は下一栗村の字名となった昭和29年現行の岩出山町の字名となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富田郷(中世) 戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富田郷(中世) 南北朝期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富田郷(中世) 鎌倉期に見える郷名武蔵国久良岐【くらき】郡のうち延慶4年3月22日の金沢貞顕袖判倉栖兼雄奉書に「相触金沢・富田給主等」と見え,金沢瀬戸橋内海の殺生禁断の事を当地の給主に触れるよう命じている(柳瀬福市氏旧蔵文書/県史資2-1806)ついで,正慶元年2月16日の金沢称名寺長老剣阿宛の金沢貞将書状には「武蔵国六浦庄富田郷〈今者称蒲里谷〉」と郷名で見え,蒲里谷郷と改称されて称名寺に寄進されている(金沢文庫古文書/同前2997)現在の横浜市金沢区釜利谷町を中心とした地域に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富田郷(中世) 戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」