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- 中野村(中世)とは
「中野村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 中野村(中世) 戦国期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 戦国期に見える村名出羽国秋田郡のうち天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行地を安堵した朱印状写に,「ゑひ沢村・うら田村・坂本村・本立村・中野村」367石余とある(秋田家文書)文禄元年・慶長6年の「秋田家分限帳」では「湖東通海老沢村・坂本村・本館村・中村」270石余を半田平兵衛の代官所支配の村に指定並記の村々との関連から推して,上記の中野村と中村は同じ村であり,井川下流の右岸平野部に中村の字地をとどめる地点を中心に存在した小村と推定される近世には村名は継承されず,北川尻村に包摂される人家も北川尻村または海老沢【えびさわ】村に移転したと推定される近世初期に真崎堰完成により大開発が行われた地域である... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 南北朝期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 戦国期に見える村名出羽国豊島郡のうち秋田市南部,仁井田【にいだ】・目長田【めながた】の南,雄物【おもの】川と古川との中ほどに位置する天正19年正月17日「豊臣秀吉朱印蔵入帳写」に「たき沢村・中野村」170石余とあるのが初見史料(秋田家文書)太閤蔵入地のうちその物成は,慶長2年「滝沢村」28石,同3年「たき沢村」20石とあり(秋田家文書),中野村分は包括記載されている近世は秋田藩領,小阿地【こあじ】村のうち現在は小字名として残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 室町期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 南北朝期に見える村名所属郡不詳文和4年2月21日の佐竹義篤譲状,同年月日の同譲状案に「一陸奥国中野村」とあり,陸奥国内の小堤村・江名村・絹谷村や常陸・越中・加賀の3か国に散在する他の所領とともに義篤から嫡子の義香に譲与されている(正宗寺文書・佐竹文書/県史7)浜通り南部,現在のいわき市中之作にあたるかとも推定されるが未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 戦国期に見える村名越後国蒲原郡のうち天正2年9月吉日の「安田氏給分帳」に軍役衆として「中の村」「中野村」と見え,当村に大見安田氏の軍役衆井口弥八郎の屋敷分300文,三潴新五郎の屋敷分200文があった比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中野村(中世) 戦国期に見える村名越前国坂北郡河口荘のうち「大乗院寺社雑事記」文明2年7月14日条に河口荘郷々内村名が記され,兵庫郷に「中野の村」と見える現坂井町下兵庫字中野前付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」