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- 八幡小路(近世)とは
「八幡小路(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 八幡小路(近世) 江戸期~明治19年の町名三条町の1町明治初年からは三条を冠称五十嵐川に沿って開けた三条町の北部三条町のうちの三ノ町・四ノ町の境目付近から鎮守八幡宮に至る参道沿いに成立した町町名の由来もこれによる町名は万治元年三条町検地帳にすでに見え,弥十郎など4人が名請けしている(三条市史資料編3)八幡宮は仁和元年石清水八幡宮を大槻荘に勧進という由緒を持ち(三条町続明細書),万治元年検地帳では高外として八幡神主・同禰宜・別当花蔵院・社僧金躰寺の屋敷が記されるほかに真言宗泉薬寺,真宗仏光寺派徳誓寺・安楽寺がある天保15年の家数67(本百姓42・水呑21など),人数373天保6年三条町の成田伝吉・三浦屋元助などによって,八幡宮境内に良寛の「十字街頭」の詩碑が建立されたが,文久元年の大火で壊れ,大正13年再建立された(三条市立図書館所蔵文書)明治2年の戸数96同12年南蒲原郡に所属同19年三条町の一部となる以後は三条町三条または三条市三条の通称町名として存続大正3年の戸数210・人口1,286昭和34年の世帯数206・人口1,039同55年の住居表示により八幡町,本町5・6丁目の各一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 八幡小路(近世) 江戸期の町名徳島城下前川の武家町の1つ文化9年の島々丁名改目録に見える前川の北部,本丁から北へ,八幡神社へいたる町筋文政年間の「阿州徳島藩御家中録」によれば,福井官益(7石)が居住していた現在の吉野本町の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」