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- 久末(中世)とは
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![]() | 久末(中世) 南北朝期に見える地名豊後国国東【くにさき】郡都甲【とごう】荘のうち現在地未詳建武元年4月15日の官宣旨に,「公連寄進状云,奉寄八幡宇佐宮大楽寺領通三宝物事,……一所豊後国国東郡都甲庄久末拾伍町」とあるのが初見(大楽寺文書/大友史料5)大宮司宇佐公連が大楽寺を建立して多くの所領を寄進し,勅願寺となすことを請うて許されたもの康永元年8月3日の志賀忠能(正玄)譲状に,「壱所 都甲久末別府」とあり,志賀氏が地頭職を帯したようで,別府とも称した(志賀文書/大友史料6)来縄【くなわ】郷にも「久末五町 地頭職小田原弥次郎頼景」と見える(弘安図田帳/大友史料3)おそらく地域的には,接続した所と考えられる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 久末(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国国東【くにさき】郡来縄【くなわ】郷のうち現在の豊後高田市河内地区大字小田原付近と思われるが比定地未詳「弘安図田帳」に,「来縄郷三百町宇佐宮領……久末五町地頭職 小田原弥次郎頼景」とあるのが唯一の史料(大友史料3)小田原【こだわら】氏は,大友能直の弟(近藤能成二子)で,大友氏に従って豊後に下向した古荘重能の後で(豊後古荘・小田原系図/大友史料1),代々現豊後高田市河内地区大字小田原【こだわら】に住したという... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」