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牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治12年の村名頸城【くびき】郡のうち真木村とも書く米山南西麓の山間地名の由来は,集落上方にやや平坦な草地(畑地)が広がり,牛馬の放牧(牧草地)に適していたためと思われるはじめ高田藩領,慶安元年からは米山寺領村高は,「慶長国絵図」12石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに12石余天和検地後とみられる国田組村々明細書上帳では,家数7・人数30,馬6(中村家文書)集落と離れた真言宗米山寺密蔵院は米山薬師の別当寺で,慶安元年徳川家光より薬師如来の御供用として牧村12石の朱印を受けた米山薬師は毎年5月8日から山頂薬師堂に,冬期は11月8日から地内の御仮堂に安置され,薬師の虫除疫病除けの霊験を信じて参詣登山する人も多かった山頂で休泊する人のために,茶屋数軒を開設し営業することが当村の特権であり,農間の大切な稼ぎでもあった家数は古来より10軒とされていたが,のち米山薬師参詣者の増加により増加し,元文4年では18軒(倉橋家文書)地内は薪炭用材の産地でもあり,牧村と水野・米山寺・平沢各村との間にたびたび山論を引き起こした(中頸城郡誌)神社は稲荷社明治12年下牧村と改称,あわせて中頸城郡に所属... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治30年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名丹波国氷上郡のうち妙高山の北麓,鴨庄川の源にあたる上村に対する村名の由来は,山間へ向かって延びた谷で,草刈場が多かったためという(鴨庄村誌)もと戸平【とべら】村は当村の出戸で,正保4年分村したと思われるもと豊臣氏蔵入地はじめ幕府領,寛永元年からは旗本川勝氏知行村高は,「丹波国郷帳」159石余うち田119石余・畑40石,「天保郷帳」でも159石余「丹波志」によれば,家数50また,駒下駄岩・黒岩・夫婦岩・挟岩など奇岩・怪石の名所と記す南端の上村境に牧出店と呼ばれる集落がある鎮守は稲荷神社,境内社に八幡・山神・天満社がある寺院は西福寺があり全村が檀家であったが,明治7年無住となり奥村正法寺檀家となるこのほか薬師堂がある当地には室町期とみられる古窯跡があり,釉薬を使用してない陶片が出土する(鴨庄村誌)同22年鴨庄村上牧となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」