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- 三重村(近世)とは
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![]() | 三重村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち筑後川流域西側の平坦地に位置する佐賀本藩領川副【かわそえ】東郷に属す村高は「慶長国絵図」では2,123石余,「正保国絵図」「天明村々目録」では944石余,「天保郷帳」では1,132石余,「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」では1村として見え,「天明郷村帳」では小村に新北小路がある早津江川に面する三重津では,安政5年佐賀藩船手稽古所が新設され,同3年蒸気船凌風丸の製造が始まり,慶応年間には佐賀本藩海軍基地として電流丸・飛雲丸・甲子丸・晨風丸・凌風丸などが出入りしていた新北神社は素戔嗚尊を祀り,用明天皇時代の創建と伝えられ,当地が古く三重村新北ケ里と称したところから社名が伝えられる明治2年の地内の氏子は53戸(新北神社略記)「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では為重【ためしげ】村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,為重村のうちに「三重分」と見え,戸数69・人口344 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」