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- 水落村(近世)とは
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水落村(近世) 江戸期~明治15年の村名安芸国高宮郡(もと安北郡)のうち福王寺山の南東麓に位置する背後の丘陵には水落氏数代が居城した申宮城跡があり,村名は同氏に由来するという(郡中国郡志)広島藩領明知・給知入り交じりの地村高は,元和5年「知行帳」では水おち村と見え236石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高東西5町・南北3町の小村飛郷友定は根谷川沿いにある石見路が可部町から下町屋村に抜ける「郡中国郡志」によれば戸数36・人数138,牛16全戸百姓であり,農間には可部山で薪を樵り可部町に売り,山繭紬を織出した廃庚申寺には拝殿・鳥居があり,申宮と称す明治4年広島県に所属同15年一部を上中野村・上原村に編入,また上中野・下中野村の一部を合併同年城村の一部となる現在の安佐北区可部町城・可部町中野・可部町上原のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
水落村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」