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- 三谷村(中世)とは
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三谷村(中世) 南北朝期に見える村名伯耆【ほうき】国汗入【あせり】郡保田荘のうち建武5年6月2日山名時氏寄進状(相見顕栄氏文書/県史2)に「伯耆国保田庄内三谷村地頭職」と見えるこれは山名時氏が伯耆国二宮相見八幡宮に同村地頭職を寄進した時のものである時氏がいつから,またどのようにして三谷村地頭職を得たのかは不明である「荘園志料」および「大日料」は「伯耆志」に引用された史料に従って,これを「久保田庄内三谷村」と理解し,その上に立ってこれを日野郡三谷村(現在の日野町三谷)に比定しているしかし,前記のように相見顕栄氏所蔵の原文書によってみると「伯耆志」の記載は明らかに誤写によるもので,これに従うことはできない三谷なる地名は現在残されていないため,その具体的な比定地を明示することはできないが,現在の大山【だいせん】町保田周辺地域にあったものと推定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
三谷村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」