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「柳町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

柳町(近世)


江戸期~明治7年の町名福井城下のうちはじめ一乗町組,のち長者町組の1町中呉服町の東側にあたり,北は松屋町,南は紺屋町東は福井城西方外郭の柳御門に面するためこの町...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7334588]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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柳町(近世)

 江戸期~明治7年の町名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

柳町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

柳町(近世)
江戸期~明治9年の町名上田城下町の一町城下町の北部,北国脇往還に沿い,木町と紺屋町の間に形成された町人町蛭沢川の右岸にあたり,かつて川岸に柳の木が多かったことから町名が生まれたという寛文3年の上田領戸口改(県史近世史料1‐1)で,戸数31,人数は男71・女60・奉公人5の合計136延宝3年は,本家28・貸家15,人数109,宝永7年は29軒・171人(上田市史)享保20年頃家並みがそろったといわれるが,やがて商店や旅籠も多くなり,原町に次ぐにぎわいをみせていた北端,紺屋町との間に茶屋町があり,宝永年間頃まで多かった柳の木の間に葭簀張りの休み茶屋が建てられていたなお文政2年海野町から,当町が埴科【はにしな】・更級【さらしな】・水内【みのち】・高井4郡から綿荷を引請け,市場にまぎらわしい商売をしているのは違法であるとして訴状が出された当町では店商いが行われていたが,市場ではなかったことがわかる(上田市史)明治9年上田市の一部となるなお現在も通称として用いられている...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

柳町(近世)
江戸期~明治7年の町名大野町のうち大野城の東,外堀に面した地域に位置する城に向かって建つ家屋は藩祖以来の重臣の屋敷が多かった大野屋敷割帳(大野市史)によれば,家老職の田村左兵衛屋敷は,表口25間・裏口25間,奥行は東側40間・西側42間,〆坪数1,012,同じく家老職の中村惣左衛門屋敷表口44間5尺・裏口42間5尺,奥行は北側25間・南側29間,〆坪数1,183,同屋敷はのち小学校(現有終西小学校)建設の折,校地として寄付されたほかに幕末の家老内山七郎右衛門の屋敷,町奉行や箱館出兵の監察や大野町初代町長などを勤め,明治33年に六間町と石灯籠小路を拡張するなど防火計画の中心者であった岡気一の屋敷などがあったまた,藩校明倫館があり,中村惣左衛門の屋敷に隣接し,表口11間・裏口14間,奥行25間の〆坪数312の学舎であった安政3年11月の藩文書中に「鉄砲細工場」が当町にあったという記録がある明治6年の戸数13同7年清水【しようず】町の一部となる...

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柳町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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柳町(近世)
江戸期~明治7年の町名小浜町の1町小浜城下の西部に位置する東隣の清水町には西口門が設けられており,旧記抜書によると,西口門外の道筋の修復や掃除は当町と清水町に課せられ,その代わりに火消役が免除されていた(組屋文書/小浜市史諸家文書編)寛永夫代帖には町名が見えず,もとは地子米を納めており,寛文元年から夫代銀に代わったという(拾椎雑話)当町と清水町,西隣の青井村の一部は三丁まちと称された遊郭街であった諸事覚日記の文政元年8月の記事によると,遊郭内にある庚申堂の前で家中若侍と町家の者が喧嘩をし,若侍は蟄居,町方の者はタタキ払・御領分払・御城下払となっている(古河家文書/小浜市史諸家文書編)元禄年間頃町の南土手の外には死罪人の斬罪場が設けられていた明治7年の戸数96同年飛鳥町・香取町の各一部となる...

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柳町(近世)
江戸期~明治元年の町名伏見町のうち北組坪井組16町の1つ地方柳町とも称した高瀬川の東,杉本町の北に位置する豊公伏見城ノ図によると,「傾城町」と記されているが,これは江戸初期の様子を伝えているといわれ,築城当時の様子は不明伝承によると寛永3年に,柿木浜の遊廓が当地に移され,柳町と称したという(新市域各町誌)寛文10年山城国伏見街衢並近郊図では町名の記載はなく,高瀬川の東側に数戸の民家が軒を並べて描かれ,北部に草原があるのち中書島が開発されて,元禄13年に遊廓は中書島へ再び移された(同前)しかし少数の民家が建つようになったのか,柳町の町名は存続して,俗に「どろ町」と呼ばれることもあった(伏見鑑)幕末には「地方柳町」と記されている(泰平俯見御役鑑)明治元年三栖村へ編入...

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柳町(近世)
江戸期~明治7年の町名出羽国平鹿【ひらか】郡横手町のうち秋田藩領江戸期に外町【とまち】といわれた横手町の西部に位置する地名の由来には,戦国期小野寺氏の時代,路傍に稠密に柳を植えたことによるという説がある(雪の出羽路)寛文9年の「横手絵図」には裏町(馬口労町)の延長上に柳町と注記され,御休所などもある「享保郡邑記」には戸数27,街路の長さ92間とある社寺には稲荷社,修験華厳院・浄土真宗東本願寺派一雲山法泉寺(東本願寺末寺)・同宗同派梧鳳山西誓寺(同前)がある明治5年の家数93(鈴木家文書)同7年馬口労町【ばくろうまち】・大水戸町【おおみどまち】・田中町と合併,横手町を形成,その小字となる...

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柳町(近世)
江戸期の町名高島城下の一町高島城の北東に位置する桑原町の裏町の一部を含めることもある当町は木下町の別称ともいわれるが,慶応4年の高島城下の図(諏訪市史)には木下町と裏上町の間に当町が記される当町に日蓮宗久遠寺末高国寺があり,再興開基は藩主諏訪忠晴の母,永高院で,天和3年に没して江戸雑司ケ谷の法明寺に葬られ,忠晴によってその遺骨が分けられ高国寺に収められた(諏訪市史)同寺の寺宝に紙本墨画観音図・絹本着色西王母軸・絹本着色八歳竜女軸・永高院殿遺品などがある(市文化財)現行の諏訪2丁目のうち...

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柳町(近世)
江戸期~明治5年の町名江戸期は大坂三郷南組のうち「鹿苑日録」慶長11年10月3日条に「斎了入津,南町木津屋ニ至テ問東法,今晨早々大坂へ帰宅ト云々,柳町於重林有会ト云々」とある「宝暦町鑑」に「九之助ばし通より一筋南の丁,心斎ばし筋よりにしへ」の町とある清水町通りと御堂筋との交差点を中心にしたほぼ正方形の町域を有した元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば,家数24軒,役数24,うち無役数1(年寄),年寄は淡路屋次郎兵衛明治2年大阪南大組に所属同5年西清水町となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

柳町(近世)
江戸期~明治15年の町名江戸期は広島城下の武家屋敷地広島城の東,京橋川右岸南北に延びる町筋の中ほどを西国街道の通る橋本町が横切る町名の由来は,昔路傍に柳樹があったことによる(旧県史)元和5年の城下絵図では橋本町以北の町間数196間,以南は215間「広島藩御覚書帖」では侍屋敷30軒・2万800坪余がある(県史近世資料編)また「芸藩通志」では橋本町筋を境に上柳町・下柳町に分ける明治11年広島区の町名となる同15年上柳町と下柳町に分離...

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『赤穂浪士討ち入りの日、南極の日』

赤穂浪士討ち入りの日について。「忠臣蔵」で有名な、大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしたか)以下、四十七士が本所の吉良上野介邸に討ち入りした日です。1702(元禄15)年12月14日の寅の上刻(午前3時)頃のことです。赤穂浪士は一般的には四十七士とよばれるが、浪士の一人の寺坂吉右衛門は討ち入りに参加したが、泉岳寺にひきあげる途中で姿をけして切腹をまぬがれ、83歳まで生きています。この日、兵庫県の赤穂市では、毎年「赤穂義士祭」が行われています。また赤穂市には、義士を祀る大石神社があります。赤穂義士のお墓があることで有名な東京の泉岳寺でも、「赤穂義士祭」が行われます。

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