ケータイ辞書JLogosロゴ 浅川之郷(中世)


山梨県>高根町

 戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。天正10年武田氏滅亡後の3月末,織田信長の部将河尻秀隆が甲斐に入部したが,同年4月21日の川尻秀隆印判状写によれば,「あさかわの六郎右衛門」の子に城坊七郎右衛門との約束のごとく「旦那屋敷・南屋敷田畠」を譲与することを認めている(富士浅間社御師渋江家文書/甲州古文書3)。信長が同年6月2日の本能寺の変で死去してすぐのちに河尻氏も国人一揆によって殺害され,相模の小田原北条氏の侵入,ついで徳川家康の入国となった。浅川が郷名として見えるのは天正10年12月11日の徳川家印判状写であり,武田氏の旧臣で徳川方に帰順した津金衆の一員であった小尾祐光に「浅川之郷四貫五百文」ほか計24貫500文の所領および棟別などが安堵されている(譜牒余録後編/徳川家康文書の研究上)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7334962
最終更新日:2009-03-01




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