ケータイ辞書JLogosロゴ 浅原郷(中世)


山梨県>若草町

 南北朝期〜戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。初見は,明徳2年の「法善寺領記」に「七段奈胡荘浅原郷之内中泥村有之」と見えるもので,はじめは奈胡荘内の1郷であった(荘園志料)。下って,戦国末期の天正10年,武田家の滅亡後甲州に入った徳川家康は,武田氏の旧臣や寺社に対して旧領安堵の方針をとったが,同年12月5日の徳川家印判状写によれば,饗場修理亮の本給として「浅原之内阿住分八百文」ほか計30貫文を安堵し(旧臼井阿原村源五右衛門所蔵文書/甲州古文書2),また,同日の徳川家康印判状では,小池監物丞に対して「浅原之郷棟別二間」を免除し,「浅原之郷四貫六百文」ほか計45貫400文の知行を本給として安堵している(小池亦内家文書/同前)。また,天正13年12月24日の徳川家印判状写では,佐野兵左衛門尉に対して亡父鷗庵(穴山氏の有力家臣)の時からの知行として「甲州あさ原之郷三拾五貫文」などが安堵されている(佐野礒右衛門家文書/甲州古文書2)。なお,同20年の身延山末寺屋敷免許状に「浅原 元立坊」と見える(久遠寺文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7334972
最終更新日:2009-03-01




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