ケータイ辞書JLogosロゴ 阿弥陀海道宿(近世)


山梨県>大月市

江戸期の甲州街道の宿場名都留【つる】郡のうち吉ケ久保村地内に宿場を形成「甲州道中宿村大概帳」によれば,宿高は84石余で,地子免許はなく,六尺給米・御蔵前入用は免除された江戸への里程は27里24町余,近隣の宿場へは下初狩宿へ1里18町,駒飼宿へ2里17町12間,鶴瀬宿へ2里30町,黒野田宿へ12町,宿往還は白野宿境から黒野田宿境まで長さ15町26間,宿内の町並みは東西4町28間余,天保14年の宿内人別272(男127・女145),宿内家数65,本陣は宿内の中町に1軒あり,建坪55坪,脇本陣も中町に1軒あり,建坪60坪,いずれも玄関・門構がなかった同年の旅籠屋は4軒あり,その規模別内訳は大はなく,中3軒・小1軒宿建人馬は25人・25疋,うち5人・5疋は囲人馬,人馬継立問屋場は字橋向に1か所あり,問屋1人・年寄4人・馬指1人がおり,人馬継立は白野宿・黒野田宿と合同で行われ,当宿は毎月16〜22日の間を勤めた正徳元年に定められた駄賃・人足賃は,下初狩宿まで荷物1駄76文・乗掛荷人共76文・軽尻馬1疋49文・人足1人37文,駒飼宿まで荷物1駄139文・乗掛荷人共139文・軽尻馬1疋89文・人足1人67文,鶴瀬宿へ荷物1駄167文・乗掛荷人共167文・軽尻馬1疋111文・人足1人82文なお,天保14年には,同15年から5年間はこの駄賃・人足賃の4割5分増しとすることが決められた宿内の木賃銭は主人1人35文・召仕1人17文・馬1疋35文高札場は宿の中ほどに1か所あり,郷蔵はなかった黒野田宿までの間に村はなく,また一里塚や並木,立場もなかった宿の両側には家並みが続くが,そのほかは田畑で,裏は山林であった耕地は田より畑が多く,用水は笹子川を引き取って用い,流末は笹子川に落とす飲み水は川水を利用農業は五穀のほかにその時々の野菜を作り,農間に男は秣を刈り,また駄賃稼ぎを行い,女は絹・紬を織る旅籠屋のほかに食物を商う茶店があった笹子川の川幅は普通は8間ほどで,橋が架かっていたなお,助郷村は,大幡・中津森・薄原・加畑・真木・小形山・川茂・古川渡・平栗の9か村が出役した
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335023
最終更新日:2009-03-01




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