ケータイ辞書JLogosロゴ 鮎沢郷(中世)


山梨県>甲西町

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。鮎沢村ともいい,郷内には鮎沢宿があった。嘉禎3年12月6日の関東下知状写によれば,鮎沢宿の雑事が免除され,柏尾寺(現勝沼町)に付せられた(大善寺文書/甲州古文書1)。また,文永8年10月日の高野山の五輪卒都婆町石には「甲斐国胡麻鮎沢住人 四十四町〈茲野氏女 沙弥蓮願〉」という銘が見え,当地の住人茲野氏女と沙弥蓮願が町石を寄進したことが知られる(紀伊国金石文集成)。下って,戦国期の弘治元年11月吉日の武田晴信印判状によれば,鮎沢郷で長禅寺の抱えの13軒と番匠縫殿丞の1軒を除く家の分3貫100文,そのほか惣衛門屋敷の分200文,計3貫300文の上納を調衆の井上甚右衛門尉に命じている(北村清巳家文書/甲州古文書3)。天正10年武田勝頼の滅亡,それに続く本能寺の変で入甲した徳川家康は,武田旧臣の所領および国内の寺社領を安堵する方針をとった。天正11年4月19日の徳川家康印判状写では,当地の三輪明神社領1貫が安堵され(八幡神社文書/甲州古文書1,三輪明神社文書/甲州古文書2),同年9月30日の徳川家印判状写では,当村の地免3貫文が西光寺領として安堵された(西光寺文書/甲州古文書2)。天正17年,徳川氏の代官伊奈忠次の治下ではじめて甲州一国にわたる検地がなされる。同年12月7日には西光寺領は20俵と確定され,伊奈忠次の証文が出されている(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335027
最終更新日:2009-03-01




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