ケータイ辞書JLogosロゴ 新倉村(近世)


山梨県>大月市

 江戸期〜明治7年の村名。都留【つる】郡のうち。郡内領に属す。「寛永村高帳」には下荒倉村と見える。桂川上流部に同名村があるため,区別の必要上・下流の当村を下荒倉と称したのである(国志)。また,「元禄郷帳」では荒倉村と書く。はじめ谷村藩領,宝永元年からは幕府領(おおむね石和【いさわ】代官所谷村出張陣屋の支配)。村高は,「慶長古高帳」43石余(村高のみで村名を欠くが,「寛永村高帳」の下荒倉村の村高と同一であるため,当村の村高であることがわかる),「寛文九年甲斐国郡内領高辻帳」「享保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに42石余。文化初年の戸数34・人口191(男96・女95),馬13(国志)。天保3年の家数36・人数200(村高七通順一州諸留)。助郷は,塩瀬・川合・四方津・桑久保・和見・芦垣・大椚村とともに野田尻宿へ出役した。甲州街道は鳥沢〜上野原間は北の山腹を迂回し,当村など桂川沿いの通称川通りは間道として取り扱われた。天保3年の調査によると村高42石余のうち畑が40石余を占める畑方の村で,養蚕・機業が生業中に大きな比重を占めていた。桂川対岸の塩瀬村へは長さ6間の橋が架けられていた(国志)。寺社は,真言宗宝泉寺と大永5年の創建と伝える有倉神社がある。明治4年山梨県に所属。小学校は同7年に開校した綱ノ上村の綱ノ上学校に通学。地租改正前の耕地面積は田5反余・畑17町余(市郡村誌)。同年梁川村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335034
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ