ケータイ辞書JLogosロゴ 粟倉村(近世)


山梨県>身延町

 江戸期〜明治8年の村名。巨摩【こま】郡のうち。西河内領に属す。当村は「慶長古高帳」「寛永村高帳」には見えず,「元禄郷帳」「天保郷帳」には下山村の枝郷として見え,「宝暦村高帳」からは独立した村として記される。江戸中期に下山村から分村したのであろう。享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年以後市川代官所)。村高は,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに100石余。「国志」によれば,枝郷に上粟倉・大石野・小原島があり,文化初年の戸数53・人口312(男149・女163),馬6。当村は駿州往還下山宿の定助郷村で,毎日馬4疋・人足4人の助郷役を勤めた。江戸期の早川の横渡し舟(下山村と飯富村の村役)は身延山からの木材で造られ(国志),舟材や破損の修理材も久遠寺から与えられており(享保20年飯富村明細帳),それは久遠寺領であった粟倉山の寺領材から調達され,毎年冬期の仮橋の架橋材もまた粟倉山から調達されたものであった(文化13年飯富村村方文書)。明治4年山梨県に所属。同5年の戸数56・人口233。地租改正前の反別は田6町余・畑23町余など(市郡村誌)。同8年福居村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335051
最終更新日:2009-03-01




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