ケータイ辞書JLogosロゴ 石禾郷(古代)


山梨県>石和町

 平安期に見える郷名。「和名抄」山梨郡十郷の1つ。郡を5郷ずつ東西に分けた場合は山梨西郡に所属。東急本の訓は「伊佐波」,高山寺本の訓は「以左和」。「三代実録」元慶8年11月5日条に「甲斐国言。嘉禾生管山梨郡石禾郷正六位上清原真人当仁宅。其一,十三茎五十穂。其一,十二茎圢六穂。当仁,是従四位上豊前王之子也」と見える。後世は「石和」と書き,「石沢」「伊沢」にも作った。現在の東八代【ひがしやつしろ】郡石和町がその郷域であり,郡域に変動があったことが知られる。笛吹川中流域の低平地で古来しばしば水害に遭ったが,近くに国府・国分寺などがおかれ,甲斐の政治・文化の中心地であった。古代末期には外宮領として石禾御厨が置かれ,ここに拠った武田信義の子信光が武田の惣領職につき,以後この地は武田氏の本拠となった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335074
最終更新日:2009-03-01




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