ケータイ辞書JLogosロゴ 石和町(近代)


山梨県>石和町

 明治36年〜現在の東八代郡の自治体名。明治37年1月1日,玉田は四日市場・広瀬,鵜飼は市部・八田・川中島・窪中島となり,当町は6大字を編成。大正9年の世帯数642・人口3,194。甲府盆地東部の一中心として発展したが,河川氾濫原に位置するため,しばしば水害に悩まされた。特に明治40年の水害では町の西側を流れていた笛吹川は河身を変更し,東側を流れるようになり田地は多く土砂に埋まり大被害を受けた。しかし,旧笛吹川河川敷を中心に復興に努め,果樹栽培が盛んとなった。他方次第に工業化も進められた。昭和31年英村・岡部村を合併,10大字を継承したが,同32年旧英村のうち成田・国衙を御坂【みさか】町に,旧岡部村のうち鎮目【しずめ】・徳条・国府【こう】を東山梨郡春日居村に編入。同年甲府市川田町・向町・上阿原町の各一部を編入,松本の一部を甲府市に編入した。同34年富士見村を合併,8大字を継承し,当町は19大字を編成。同年8月台風7号により,明治40年の大水害以来の被害を受け,死者1名・重傷6名・軽傷56名,家屋の全壊43・半壊216・一部損傷1,998,床上浸水62戸・床下浸水102戸を数え,被害総額3億3,984万円余にのぼった。昭和36年八田地内の畑から高温の温泉が噴出,これを契機として急速に観光地化が進んだ。同40年には川中島北幹線道路が完成,沿道には旅館・ホテル・保養所・飲食店などが建設され,温泉街の中心的地域となった。同42年役場庁舎落成,同46年に東八消防組合が設立され,中央公民館が建設された。世帯数・人口の推移は,昭和35年2,275・1万973,同45年3,433・1万2,846,同55年5,304・1万7,542。産業別就業者数は,昭和35年第1次2,571・第2次1,063・第3次1,717,同45年第1次2,161・第2次1,253・第3次3,526,同50年第1次1,828・第2次1,342・第3次4,451。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335079
最終更新日:2009-03-01




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