ケータイ辞書JLogosロゴ 井尻郷(中世)


山梨県>塩山市

戦国期に見える郷名山梨郡のうち享徳3年11月13日の塩田国安寄進状に「彼茶畠者,井尻之かうの内志やうし屋敷公方年貢五百文所」とあり,塩山向嶽庵に当郷の茶畑が寄進されている(向嶽寺文書/甲州古文書1)この寺領は,その後,不知行の所となっていたが,永正15年3月28日,国安の曽孫宮内大輔信秀が再度,寄進し,違乱なき旨を証した(同前)天正10年3月,武田氏の滅亡後,甲斐は一時期織田信長の支配するところとなったが,同年6月,信長が京都本能寺で死没すると,徳川家康が入部,小田原北条氏の競合を排して甲斐国を掌握したこれにともなって,家康は武田氏旧臣の本領安堵を推進した当郷では,天正10年11月9日,「甲州東郡居(井)尻之内七拾五貫文」が原半左衛門に(原秀平家文書/甲州古文書1),同年12月9日,「井尻之内増分拾貫百文」が井尻源三に(井尻源家文書/甲州古文書3),それぞれ安堵されている現在の塩山市上井尻・山梨市下井尻に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335089
最終更新日:2009-03-01




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