ケータイ辞書JLogosロゴ 和泉村(近世)


山梨県>甲西町

 江戸期〜明治8年の村名。巨摩郡のうち。西郡筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(甲府・市川代官所など)。村高は,「慶長古高帳」178石余(ほかに住吉神領1石余),寛文12年検地316石余,「宝暦村高帳」328石余,「天保郷帳」330石余,「旧高旧領」も同じで,うち住吉社領1石余。反別は,慶長6年検地では田6町余・畑3町余・屋敷1反余で荒地が28町余と多いのは水損のためか。寛文12年検地では田16町余・畑23町余・屋敷1町余で,慶長検地と比べて大幅に増加しているのは慶長検地で荒地と認定された田畑の多くが寛文検地で正式地目に登録されたためと考えられる。水田地帯でありながら畑地も多く,早くから綿作などの商品作物の栽培が進んでいた。文化初年の戸数68・人口321(男159・女162),馬1(国志)。入会地は権現堂山(12か村入会)。飲用水は土手川の水を利用,田の用水は田島村砂待用水の流末に依存していた。助郷は荊沢【ばらざわ】宿に出役。名主役は長百姓が交替で勤務していた。湿田地帯のため八糸川などの管理・普請に難渋した。神社は朱印高1石余の住吉神社,寺院は日蓮宗広教山妙善寺がある。明治4年山梨県に所属。同6年東南胡・西南胡・田島の3か村とともに西南胡村に南胡学校を開設。同7年の耕地面積は田12町余・畑29町余で,江戸期と比べて畑が増加している。同8年南湖村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335091
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ