ケータイ辞書JLogosロゴ 市川郷(古代)


山梨県>市川大門町

平安期に見える郷名「和名抄」巨麻【こま】郡九郷の1つ東急本の訓は「以知加波」現在の西八代【にしやつしろ】郡市川大門町地方で,のちの市河荘に当たるというのが「国志」以来の通説であるそうとすれば,後世郡域に変動があったことになるしかし,市川大門町は富士川の左岸であるから,ここが巨麻郡の旧域であったとは認められないとし,当郷を他地域に比定する説もあるたとえば青沼郷の南方,中巨摩郡玉穂町・田富町方面にあてる説(地名辞書),南巨摩郡増穂町・鰍沢【かじかざわ】町方面に比定し,市川大門町はその出作地とする説(地理志料・綜合郷土研究)などがあるこの郷の位置については,冷泉天皇の安和2年の「山城国法勝院領目録」に見える市河荘の境域に関する正確な研究成果によって結論を出すべきで,現在のところは一応通説に従っておきたいなお「延喜式」八代郡弓削神社は現在市川大門町にある同社がそれであるとされるが,「日本後紀」延暦24年12月乙卯条に「甲斐国巨麻郡弓削社預官社以有霊験也」とあるのを同じ社とすれば,この神社は郡の境界線にあって,時によって所属の郡を異にしたという解釈が成り立つかもしれない
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335104
最終更新日:2009-03-01




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