ケータイ辞書JLogosロゴ 市之瀬(近代)


山梨県>下部町

 明治後期・大正期〜現在の大字名。はじめ富里村,昭和29年からは下部【しもべ】町の大字。もとは富里村の一部。水稲・雑穀・芋・豆類を主とする農業が中心であったが生糸の輸出の発展に伴い養蚕業が盛んとなる。コウゾ・ミツマタの栽培は大正期まで,薪炭生産は昭和30年代まで続いた。交通は江戸期からの勝坂峠道に沿って富士身延鉄道が開通,昭和7年市ノ瀬駅が開設されて富士川水運は鉄道交通へと変わった。また,常葉川沿いの道路は昭和8年県道吉田身延線(下部本栖線)となり,同25年富士吉田〜常葉間を定期バスが運行開始,同45年国道300号となる。なお同46年バイパス線開通。勝坂峠道は昭和4年県道市川大門下部身延線となり,同42年下部隧道の完成によって利便は増した。市之瀬学校はまもなく廃校,以後生徒は常葉学校へ通学。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335115
最終更新日:2009-03-01




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