ケータイ辞書JLogosロゴ 岩窪町(近代)


山梨県>甲府市

 昭和12年〜現在の甲府市の町名。昭和20年の甲府空襲の際,当町は72世帯中17世帯が全焼,85人が罹災した。また戦没者の霊を祀るため護国神社が町内に創建されることになり,各町内会などの勤労奉仕により整地作業が行われた。護国神社は終戦のために未完のまま放置されていたが,同25年戦没者の慰霊が行われた。同26年市は市営墓地の構想をもって国から旧陸軍墓地の無償貸与を受け,同31年度から工事に着手,公園墓地つつじが崎霊園が造成された。この市営墓地造成に伴って,「二ツ屋横手」の異名のある古道も拡幅され,愛宕山南面に設備された県立愛宕山こどもの国に道路をつないで周遊道路ともなり,また両側に桜が植えられ,花見時には護国神社参道の桜とともににぎやかな通りとなっている。当町は第2次大戦後宅地化が進み,昭和50年には世帯数251・人口752を数える。同58年の農家数・農地面積は,田25戸・329a,畑19戸・77a,樹園地11戸・233a,桑園4戸・64a。一部が昭和42年大手1〜3丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335176
最終更新日:2009-03-01




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