ケータイ辞書JLogosロゴ 岩殿(中世)


山梨県>大月市

 戦国期に見える地名。都留【つる】郡のうち。当地の岩殿山円通寺は中世には,観音堂,三重塔の規模が大きく,多くの坊舎も存在した。現在は,廃寺となっているが,応永6〜8年の間に奉納された大般若経六百巻が現存し,版経としては県内最古のものである。岩殿山は,京都の聖護院の末寺であり,文明19年正月には,聖護院門跡の道興准后が訪れている。「廻国雑記」には,その時の様子を次のように記す。「かく甲州にいたりぬ,岩殿の明神と申て霊社ましましけり,参詣して歌よみて奉る,あひかたき此岩とのゝ神やしる世々に朽せぬ契ありとは」と。その後,永正17年には,堂舎が大破に及んだということで,上総国住僧賢覚阿闍梨の本願として再建が行われているが,その時の棟札が円通寺の坊寺常楽院に伝存する。それには「鳥目百匹 武田左衛門大輔信友,駒一匹太刀一腰 当郡主護平信有,駒一匹太刀一腰 平藤丸上之奉行,駒一匹太刀一腰 藤原道光下之奉行……五百文 其時当郷代官長沼以秀」などと奉加者の名が見えている。武田左衛門大輔信友は武田信虎の弟の勝沼信友とみられ,平信有は,郡内守護の小山田信有,それ以下の人々は小山田氏の家臣と考えられる。また,「当郷代官」とあり,岩殿郷には代官職が置かれていたことが知られる(国志)。桂川の橋としては猿橋が有名であるが,岩殿付近にも戦国期から「岩殿ノ橋」が架けられていた。「高白斎記」の大永7年5月18日条と天文22年2月15日条に見える。なお,当地には「甲陽軍鑑」にいう駿河久能城・上野吾妻城に並ぶ三名城の1つ岩殿城がある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335188
最終更新日:2009-03-01




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