ケータイ辞書JLogosロゴ 牛奥(中世)


山梨県>塩山市

 戦国期に見える地名。山梨郡のうち。永禄3年12月17日の武田晴信印判状に「弐拾盃 牛奥」とあり(桑原彦次郎家文書/甲州古文書2),当地に漆20杯の上納が命じられている。また,永禄4年閏3月吉日の武田晴信禁制に「十六番……牛おくの禰宜」とある(八幡神社文書/甲州古文書1)。「牛おくの禰宜」とは,当地の通明神社の神官を指し,近隣の赤尾大石神社の神官とともに,府中八幡社に結番して武田氏領国の安穏を祈願した。天正10年3月,武田氏滅亡後,甲斐は一時織田信長の支配するところとなったが,同年6月,京都本能寺で信長が死没すると,徳川家康が入部,小田原北条氏の競合を排して甲斐一国を掌握するに至った。天正10年11月2日,家康は「甲州本領之内……牛奥分山共爾高拾六貫四百文」を武田氏旧臣の栗原内記に安堵している(御庫本古文書纂/大日料11‐2)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335222
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ