ケータイ辞書JLogosロゴ 大崩村(近世)


山梨県>身延町

 江戸期〜明治7年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。東河内領に属す。当村は「慶長古高帳」「寛永村高帳」には見えず,「元禄郷帳」には椿草里村の枝郷として見え,元禄年間以降同村から分村したと思われる。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年以後市川代官所)。村高は,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに20石余。「国志」によれば,文化初年の戸数14・人口79(男36・女43),馬2,大垈・椿草里とともに佐野山の御林山を守る諸役免許の村であった。大垈・椿草里・上佐野・下佐野とは峰伝いに往来していた。東にある三石山の山中には三ツ石明神を祀り,旱魃の年には里人が登る雨乞山であった。明治4年山梨県に所属。同5年の戸数15・人口68。同7年大河内村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335309
最終更新日:2009-03-01




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