ケータイ辞書JLogosロゴ 大椚(近代)


山梨県>上野原町

 明治後期・大正期〜現在の大字名。はじめ大鶴村,昭和30年からは上野原町の大字。もとは大鶴村の一部。明治24年上野原〜鳥沢間に桂川沿いの新道(通称川辺通り)が開かれ,さらに明治30年代中頃には国鉄中央線が開通して甲州街道は衰退した。しかし,明治34年上野原駅,同43年四方津駅が開設され,少なからず影響をうけたが,従来からの畑作に依存する山村的性格が変わるほどではなかった。昭和20年代末から同30年代はじめにかけ,次第に近隣にバス路線が開通する中で,この地区は取り残された。しかし,昭和37年から始まった中央自動車道の建設工事は,地内中央を東西に貫通したこともあり,大きな影響を及ぼし,大椚地区・日野地区の南北に完全に二分された。この頃から始まる自家用車の普及は当地を変容させ,近隣都市への通勤者の増加,農家の兼業化を進め,中小企業の進出もみられるようになった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335312
最終更新日:2009-03-01




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