ケータイ辞書JLogosロゴ 大椚(近代)


山梨県>増穂町

 明治後期・大正期〜現在の大字名。はじめ増穂村,昭和26年からは増穂町の大字。もとは増穂村の一部。世帯数・人口は,昭和10年101・572,同22年123・685,同55年169・625。昭和45年農業センサスによる総耕地4,337aに対する地目別構成比は,田46.5%・果樹園11.6%・桑園32.5%・普通畑9.4%であるが,近年ブドウ栽培のほか,ビニールハウスによるイチゴが特産として出荷され,キュウリ・カボチャ・ナス・トマトなどの野菜も多く産出される。明治34年駿州往還を鰍沢馬鉄が走り,増穂橋が増穂村の門戸となった。畑地灌漑事業は富士川の水を揚水してスプリンクラーで散水するものであるが,昭和49年完成し取水口は当地東にある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335314
最終更新日:2009-03-01




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