ケータイ辞書JLogosロゴ 大黒坂郷(中世)


山梨県>境川村

 戦国期に見える郷名。八代【やつしろ】郡のうち。古くは,小黒坂と一体となり,黒坂郷をなしていたと考えられる。「国志」によれば,鎌倉期に武田五郎信光の子太郎朝信が当地に居住し,黒坂氏を称したという。大黒坂郷の地名は天正18年5月25日の徳川氏代官伊奈忠次寺領証文に大黒坂寺領として「百卅七表四升六合八勺者 大黒坂郷内ニ而」と見えるが(聖応寺文書/甲州古文書2),この大黒坂寺は現在も当地にある聖応寺のことである。聖応寺は古くは聖応庵と称し,南北朝末期の開創といい,応永2年11月の黒坂信光寄進状によって,その境内が確定され,その四至は「東ハ法華寺横道,檜木山者弥陀尾お境,南ハ大道,南沢お境,北ハ大岩之峰尾お下,真福寺立石烏帽子石,西ハ鼻前之石,一之沢お境」と見える(聖応寺文書/甲州古文書2)。現在,大黒坂には横田道東・横田道西・真福寺・北一の沢・村下一ノ沢・一ノ沢・法華寺の字が残り,本来の寺の境内をある程度復元できる。黒坂信光については武田信満にあてる説(国志)もあるが,詳細は不明。ただ,武田信満の子信重は宝徳2年11月24日に世を去ったが,「国志」の説では,黒坂太郎なる者を討伐中,小山城主穴山伊豆が黒坂に応じ,急に小石和【こいさわ】の居館を襲ったため,自殺したという。この黒坂太郎は黒坂信光と関係があるかもしれない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335330
最終更新日:2009-03-01




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