ケータイ辞書JLogosロゴ 大城村(近世)


山梨県>身延町

 江戸期〜明治8年の村名。巨摩郡のうち。西河内領に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年以後市川代官所)。村高は,「慶長古高帳」21石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに60石余。「国志」によれば,枝郷に湯ノ平があり,文化初年の戸数47・人口255(男126・女129),馬9。当村と門野村は1村のように称され,名主役をおのおの隔年に勤めたという。同書によると寺院は日蓮宗身延山末の大城山妙覚寺・本国山本成寺,神社は八幡宮があり,八幡宮は妙覚寺が摂祀する。湯ノ平には砂金鉱床坑道の遺跡がある。当地は安倍峠口で,同峠は険阻で駿河国安倍郡の温泉へ越す峠であった(裏見寒話)。地内には古谷城番所があった。当村は駿州往還下山宿の大助郷村で,嘉永5年の勤高21石余(身延町誌)。明治3年には当村を含む西河内領53か村が助郷免除を願い出ている(同前)。同4年山梨県に所属。同5年の戸数50・人口239。地租改正前の反別は田2町余・畑35町余など(市郡村誌)。同8年豊岡村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335344
最終更新日:2009-03-01




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