ケータイ辞書JLogosロゴ 大津村(近世)


山梨県>甲府市

 江戸期〜明治7年の村名。巨摩【こま】郡のうち。中郡筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(「旧高旧領」では市川代官所)。村高は,「慶長古高帳」1,038石余(ほかに広瀬大明神領2石余),「宝暦村高帳」1,103石余,「天保郷帳」1,106石余,「旧高旧領」も同じで,うち八幡社領7斗余・広瀬明神領2石余。慶長6年検地によると,反別は田39町6反余・畑21町5反余・屋敷2町3反余。「国志」によれば,文化初年の戸数78・人口328(男160・女168),馬8。中道【なかみち】往還が村内を通過し,笛吹川の渡し場があったが,毎年9,10月より翌年の2,3月まで長さ70〜100間の笛吹川橋を架け渡していた。神社は朱印高2石余の広瀬明神,寺院は曹洞宗竜華院末慈恩寺・慈恩寺末利済寺・同末福泉寺,浄土真宗東本願寺末の珉照寺などがある。慶長6年検地によると,地内には代の田・宮の西・八反田・扇田・石橋・横田・四の辻・五反田・つらなし・くつ田・かた田・入田の町・天神堂・川流・竹の花・大畠・丸田町・西川原・条代頭・岡・久保・板橋・天神畑・ごんげん・中河原・下河原・後藤・西畑・村の中・大明神という小字があった。明治4年山梨県に所属。同7年二川村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335353
最終更新日:2009-03-01




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