ケータイ辞書JLogosロゴ 大月(中世)


山梨県>大月市

 室町期から見える地名。都留【つる】郡のうち。大槻とも書く。応永33年9月日の善波藤太郎憲有軍忠状(諸州古文書/神奈川県史資料編古代中世3上)によれば,善波藤太郎は武田八郎信長の退治のために発向した鎌倉公方足利持氏軍に,同年6月26日に座間(神奈川県座間市)で加わり,その後,その軍勢とともに同月晦日に青山(神奈川県津久井町)を経て,同年7月2日には甲州の鶴河(上野原町鶴川),同月8日には小西(大月市富浜町鳥沢),同月15日には大槻まで進軍し,警固の宿直についていたが,同年8月25日には信長は降伏したという。また応永33年8月日の久下修理亮入道代子息信濃守憲兼軍忠状(榊原家所蔵文書/関東中心足利時代の研究)によれば,久下憲兼も「大槻御陣」で宿直警固をしている。武田信長は上総武田氏の祖で,甲斐守護の跡を継いだ伊豆千代丸の実父であり,当時,逸見氏のために実権を失っていた守護の力を回復するため入国したが,逸見氏は足利持氏の支持を取り付けており,先述のごとく鎌倉公方の軍勢が甲斐に出兵し,信長の企ては失敗に帰したのである。下って,「高野山引導院過去帳」に「智教大姉〈同(天正14年8月6日)鶴郡大月ミソクチ 了右衛門立之〉」と見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335360
最終更新日:2009-03-01




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