ケータイ辞書JLogosロゴ 大坪村(近世)


山梨県>境川村

 江戸期〜明治7年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。小石和【こいさわ】筋に属す。はじめ幕府領(慶長古高帳では旗本成瀬氏知行),のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(はじめ上飯田代官所,元文3年からは石和代官所)。古くは三椚・石橋両村と1村を形成していたという(国志)。村高は,「慶長古高帳」570石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに572石余。田畑の比率は5対1で,田が多かった。笛吹川・境川・浅川の合流点に位置するため水害も多く,流失による無地高が48石余にものぼった。享保9年の戸数54(村明細帳),文化3年の戸数48・人口188,うち男97・女91(国志)。享保9年には茶売1,宝永2年には医者1・馬医者1がいた(村明細帳)。用水は大窪村の不動滝の水を石橋村坂額から引き,これを石橋・三椚・白井河原・上曽根の諸村とともに利用した。また大黒坂・石橋・三椚・前間田・米倉・小山・小黒坂の諸村とともに中芦川山を入会山として利用した。助郷は甲州街道石和宿の定助郷を勤めた。文政13年小前騒動が発生。天保7年の甲州天保騒動(郡内騒動)では1軒が打毀を受けた。神社は八幡宮。寺院は臨済宗白花山実相寺があり,同寺所蔵の大般若経は県文化財となる。また,幕末期には同寺に寺子屋を開設。明治4年山梨県に所属。同7年圭林村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335367
最終更新日:2009-03-01




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