ケータイ辞書JLogosロゴ 大垈村(近世)


山梨県>身延町

 江戸期〜明治7年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。東河内領に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年以後市川代官所)。村高は,「慶長古高帳」2石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに21石余。「国志」によれば,枝郷に川向があり,文化初年の戸数26・人口124(男67・女57),馬5。川向は大垈本郷の北1里にあり,桃ケ窪村へ近い。同書によると神社の山祇ノ祠は帯金村の名主兼帯で,寺院は日蓮宗身延山末宗円山妙仙寺がある。武田氏時代に諸役免許の村であったが,江戸期も御林山の衛護役を課せられ諸公役免許の村であった(国志)。大崩・椿草里とともに3か村で御林山の佐野山(上佐野・下佐野の東)の衛護にあたった。この3か村は峰伝いの峠道で交流していた。明治4年山梨県に所属。同5年の戸数24・人口136。同7年大河内村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335378
最終更新日:2009-03-01




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