ケータイ辞書JLogosロゴ 大野郷(中世)


山梨県>山梨市

 南北朝期〜戦国期に見える郷名。山梨郡のうち。観応2年6月20日の留守所補任状(大善寺文書/甲州古文書1)に「補任 甲斐国東三昧田肆段〈宇多田郷内御堂後在之〉名主職事 最手房丸所 右当職者,自大野郷住人,為後家尼道忍……」と見え,宇多田郷内東三昧田4反の名主職は,当郷住人某,後家尼道忍,六郎三郎,五郎次郎の手を経て観応2年6月,最手房が補任された。また「一蓮寺過去帳」に見える永正元年5月16日の大野源三左衛門,明応2年4月28日条の同母も当郷の住人と思われる。武田氏・織田氏滅亡後の天正10年6月より,徳川氏は甲斐に入部するが,一方,小田原北条氏も信州佐久,武蔵秩父方面より甲斐をうかがった。秩父鉢形城主北条氏邦に与した大村三右衛門ら大村党は同年6月大野砦に立籠り,徳川氏を迎え撃ったが,徳川方穴山衆のために敗れ,その戦死者を葬ったのが地内三十六塚だという(韮崎市誌・国志)。そのためか,徳川氏によって大野のうちで本領安堵されたのは,天正10年12月9日の筒井勘右衛門に対する「大野之内蔵出得替六百文」の1例しか見えない(旧唐柏村森右衛門所蔵文書/甲州古文書2)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335385
最終更新日:2009-03-01




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