ケータイ辞書JLogosロゴ 大山村(近世)


山梨県>下部町

 江戸期〜明治7年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。東河内領に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(市川代官所など)。村高は,「慶長古高帳」13石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに16石余。「国志」によれば,文化初年の戸数14・人口47(男26・女21),馬2で,「久保村ノ東南ニ在リ,北ハ山家村,東ハ大磯小磯村各々一里許リ,実ニ大山深谷中ノ孤村ナリ」とある。集落は,もと居平(古屋敷ともいう)にあったが,天明年間に大地震のため現在地に移ったと伝えられる。村の規模は東西12町・南北13町ほど,東は大磯小磯村,西は山家村,北は山家村に接する。山の緩傾斜地では雑穀・芋・豆類・楮・三椏の栽培を行った。また入会山地では薪炭・堆肥作り,木材の伐採を行った。駿州街道の間道が通り,一方は芝草村・古関村を経て中道【なかみち】往還に,他方は帯那村を経て市川・鰍沢【かじかざわ】方面へ通じた。神社は諏訪明神が上・下の2社あり,寺院は瑠光山東前院などがある。明治4年山梨県に所属。同7年三保村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335405
最終更新日:2009-03-01




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