ケータイ辞書JLogosロゴ 小笠原(中世)


山梨県>櫛形町

 戦国期に見える地名。巨摩【こま】郡のうち。原小笠原荘の中心部にあり,中世後期郷村として自立したとみられる。天正9年3月20日の武田家印判状写によれば,荻原豊前守の被官人10人に対して岩殿城(現大月市)の在番と普請役が命じられているが,その代わりに彼らの郷次の普請役が免除されている。この被官の中に「〈小笠原の〉助右衛門〈小笠原の〉源次郎」の名が見える(荻原七郎兵衛所蔵文書/甲州古文書3)。天正10年の武田宗家の滅亡後,甲州に入った徳川家康は,寺社や武田の旧臣の所領を基本的に安堵した。天正10年11月8日の徳川家印判状写によれば,武田氏の旧臣河西充良に対して本領を安堵しているが,その中に「甲州小笠原今宿・市川町籾子類役共拾八貫文」とある(網蔵勇八郎家文書/甲州古文書2)。また,同11年4月19日の徳川家康印判状写では,下宮地の三輪明神に対して社領が安堵され,当地に100文の社地があったことが知られる(八幡神社文書/甲州古文書1)。なお,天正20年の身延山末寺屋敷免許状には「小笠原 蓮住坊」と見える(久遠寺文書/甲州古文書2)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335412
最終更新日:2009-03-01




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