ケータイ辞書JLogosロゴ 小笠原村(近世)


山梨県>櫛形町

 江戸期〜明治8年の村名。巨摩郡のうち。西郡筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・市川代官所など)。村高は,「慶長古高帳」310石余(ほかに若宮領2石),寛文4年検地および「宝暦村高帳」497石余,「天保郷帳」507石余,「旧高旧領」も同じで,うち八幡社領2石。枝郷に琵琶(枇杷)ケ池・柿平がある(国志)。文化3年の家数230・人数830(男414・女416),ほか修験3軒・13人,陰陽師4軒・22人がいた(村明細帳)。明治3年には250軒・1,346人(男652・女694)となっている(櫛形町誌)。村の中心を南北に駿信往還が通り,鰍沢【かじかざわ】・韮崎【にらさき】両宿の中間に位置する間の宿としての発展をみせる。甲府城代戸田周防守によって開かれた戸田街道が甲府に通じる。耕地に恵まれないため古来より大根・人参・牛蒡・夏豆・葱苗・醂柿・塩の野売りやせり売りが認められていた。神社は朱印高2石余の若宮八幡宮,寺院は日蓮宗浄慶山久成寺・正法山妙経寺,曹洞宗笠原山興隆寺・長福山昌隆寺・霊応山普門庵,舟乗り地蔵がある浄土宗空室山源然寺など。加茂隆仙は幕末の医学者で私塾を開き,桑島尚謙も幕末から明治にかけての医学者で,久成寺に頌徳碑がある。「御所の庭」と呼ばれる史跡があったが現在地は不明。明治4年山梨県に所属。同6年山寺・上宮地の2か村とともに地内久成寺を仮校舎として小笠原学校を開設。同8年明穂【あけほ】村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335413
最終更新日:2009-03-01




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