ケータイ辞書JLogosロゴ 押越村(近世)


山梨県>昭和町

 江戸期〜明治7年の村名。巨摩郡のうち。中郡筋に属す。枝郷に曲淵・下押越・新田がある(国志)。曲淵の地名は慶安・承応年間頃まで釜無川の川岸で大きな淵になっていたことにちなむという。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(甲府代官所)。村高は,「慶長古高帳」577石余(ほかに天神領2石余),「宝暦村高帳」659石余,「天保郷帳」663石余,「旧高旧領」も同じで,うち八幡社領2石余。「国志」によれば,南東は紙漉阿原村,北は西条村に接し,地内の北部には釜無川の涸道の土堤が数多く残存するといい,文化初年の戸数56・人口216(男100・女116),馬1。神社は天神宮・義清明神,寺院は曹洞宗富盛山長禅寺・日蓮宗蓮華山正法寺,曲淵に日蓮宗中黄山本妙寺などがある。本妙寺は武田・徳川に仕えた曲淵荘左衛門吉景ゆかりの寺という。明治4年山梨県に所属。同7年押原村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335436
最終更新日:2009-03-01




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