ケータイ辞書JLogosロゴ 落合郷(中世)


山梨県>甲西町

 戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。天正9年3月20日の武田家印判状写によれば,荻原豊前守に対して岩殿城(現大月市)在番を命じ,被官と思われる10人に対して番と普請を命じる代わりに郷並の普請役を免除しているが,その10人の中に「落合の新左衛門」の名が見える(荻原七郎兵衛所蔵文書/甲州古文書3)。天正10年の武田勝頼の滅亡後,甲州に入った徳川家康は,武田氏の旧臣に安堵や充行を行っているが,天正10年11月9日の徳川家印判状写では,落合郷の名主落合惣兵衛(信吉)に対して曲輪田・南条の知行と並んで,落合の2貫文と名田見出5貫文を本給として安堵した(記録御用所本古文書/同前)。また,同11年4月18日の徳川家康印判状写では,三輪明神(現櫛形町)に対して落合のうち250文を安堵した(三輪明神社文書/甲州古文書2)。天正17年9月17日には,「甲州西郡 落合郷」に対して徳川家から郷中定書が発せられ,年貢納所・陣夫・百姓屋敷・地頭百姓等雇・四分一・納所の請負・竹藪などの7か条に及ぶ詳細な納税に関する規定が定められた(旧落合村儀右衛門所蔵文書/甲州古文書2)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335447
最終更新日:2009-03-01




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