ケータイ辞書JLogosロゴ 落合村(近代)


山梨県>甲西町

 明治22年〜昭和30年の中巨摩郡の自治体名。落合・湯沢・秋山・塚原・川上の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。役場は落合に設置。明治24年の戸数436・人口2,947,学校は落合尋常小学校があり,物産は米・麦・実綿・葉烟草・桑葉・繭・縞木綿・布・枯露柿・蜀黍・菜種など,民業はほとんどが農業で,余業として養蚕81戸・工45戸・商120戸(市郡村誌)。明治31年の戸数439・人口2,939,以後の世帯数・人口は,大正9年486・2,568,昭和25年527・3,057。昭和5年駿信往還沿いに山梨電鉄が開通。扇状地を中心に畑がひらけ,木綿・桑・煙草・麦などの栽培が行われていたが,明治末期から桑園が増えはじめ,大正期に入ると養蚕業が盛んとなる。同じく明治末期から深沢富三らを中心にかつての名産ボタンキョウの復活をはじめ,モモ・スモモなどの栽培が本格化した。昭和12年には落合果実組合が41名の農民によって創立された。すでに江戸期より地主の成長と本百姓の零細化,無高百姓化は著しかったが,近代に入るとこの傾向は一層進み全耕地に占める小作地の割合は明治20年75%,同38年92%に達した(旧村統計報告書)。その結果地主と小作人の対立が激化し,大正14年には落合農民組合聯合会が結成され,翌年落合村第1次争議が起こった。昭和4年には新たに結成された西落合農民組合も聯合会に加盟した。この西落合を中心に農民組合の小作料減免要求を地主側が拒否したことに端を発した第2次争議は村を巻き込んで深刻化したが,同5年小笠原警察署長の調停で結着をみた(甲西町誌)。第2次大戦中から戦後にかけて桑園は麦・粟・黍・蜀黍などの食糧生産に切り替えられ,養蚕業は衰退したが昭和20年代後半には復活した。同20年の農家戸数421,うち地主9・小作88・自作61・自小作263であったが(県市町村勢要覧),同25年頃までに地主制は解体した。同30年代に入るとモモ・スモモ・ブドウなど果樹栽培が急速に進み,特にスモモの名産地となる。昭和25年の耕地面積は田69町・畑113町・果樹園13町・桑園56町(農林業センサス),同28年の農家戸数429,うち専業農家238戸(県農業基本調査)。昭和30年甲西町の一部となり,村制時の5大字は同町の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335449
最終更新日:2009-03-01




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