ケータイ辞書JLogosロゴ 帯那(中世)


山梨県>甲府市

戦国期に見える地名山梨郡のうち小尾奈とも書く帯那山・要害山の西側に位置する那は野の意であり,帯那は細長い耕地に由来する地名という天正10年3月,武田氏が滅亡し,甲斐は織田信長の支配に帰すが,その信長も同年6月本能寺の変で討たれ甲斐国は混乱状態となる7月には徳川家康が入部して小田原北条氏の勢力を押さえ,家康は甲斐を手に入れるこの時,家康は武田氏の旧臣や寺社の所領の安堵や充行を行っているが,天正10年8月9日の徳川家印判状写によれば,小宮山囚獄助に対して5貫文を「帯那之内」で充行い(譜牒余録/甲州古文書3),同月27日の徳川家康判物写によれば,初鹿野伝右衛門昌久に本領の一部替え地として「小尾奈内平瀬」70貫文を安堵した(旧初鹿野村伝右衛門所蔵文書/甲州古文書1)また翌天正11年4月24日の徳川家康印判状写によれば,府中の八幡領が安堵されているが,その中に「帯那内弐百文」が見えている(八幡神社文書/同前)比定地は現在の甲府市上帯那町・下帯那町一帯である
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335475
最終更新日:2009-03-01




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