ケータイ辞書JLogosロゴ 加々美荘(中世)


山梨県>若草町

 鎌倉期〜南北朝期に見える荘園名。巨摩【こま】郡のうち。加々見荘・加賀美荘とも書く。建永元年の慈円起請文に「加々見庄〈甲斐国〉布二百段」とあるのが初見(門葉記/鎌遺1659)。同文書によれば,当荘は権中納言藤原通季の娘で,藤原経定の妻であった女性から慈円に譲与されたものである。所管するところは,建永元年では大懴法院,建暦3年2月の慈鎮所領譲状案では極楽寺(華頂要略/鎌遺1974),天福2年8月の慈源所領注文では大成就院(同前/鎌遺4687)と,時代とともに変わっているが,これらの寺院はいずれも青蓮院の支配下にあったことから,鎌倉前期には青蓮院門跡領だったと考えられる。所当年貢は建永元年の布200反が,天福2年には准布300反となっている。建武3年9月17日の勧修寺所領目録にその名が見えるが(勧修寺文書/岐阜県史史料篇古代中世4),青蓮院から勧修寺への異動の経緯は不明である。また,その後の伝領経過もわからない。甲斐源氏一族の遠光は康治2年2月28日加賀美の館に生まれ(笠系大成/新編信濃史料叢書12),ここを拠点として加賀美氏を称するようになったという。若草町加賀美の法善寺は遠光の館跡に孫遠経が建立したものと伝える(国志)。中世末,荘域は引佐久保・野呂瀬・小柳・藤田・加々美中条・加賀美・寺部の7か村を指し(天正中寺部村八幡宮板記/国志),今の若草町一帯に比定される。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335495
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ